3rd|2019

開催概要

趣旨
小金沢智

 東北芸術工科大学(山形県)には構内にいくつかの展示スペースがある。今回本展で使用するのは、本館7階のギャラリーTHE TOP、1階のギャラリーTHE WALL、同じく1階の南エントランススペースである。これらはいずれもサイズや作りをはじめとする仕様がまったく異なっていて、たとえば1階の南エントランススペースは展示壁面を持たない。したがって、展示する場合は展示台や仮設壁を用意する必要があり、どちらかというと、そもそも壁を必要としない立体やインスタレーション作品の展示に向いている。
 「画論」をグループの由来とする日本画が出自のわれわれ〈ガロン〉は、この度、この三つのスペースで段階的な展示を試みる。つまり、前期として展示壁面のあるギャラリーTHE TOPとギャラリーTHE WALLでまず展示を行い、ギャラリーTHE TOP終了ののちは、後期として同所で展示した作品の一部を南エントランススペースに持ち込む。このとき、展示ではふたつの「変身」(メタモルフォーシス)が起こっている。すなわち、ギャラリーTHE TOPとギャラリーTHE WALLでは、主に2000年代前半から発表を継続している作家のキャリアのなかで異なる時期に描かれた複数作品を展示することによる作品内容の「変身」が、そして、ギャラリーTHE TOPと南エントランススペースでは、壁のある空間からない空間へと展示場所が変化したことによる作品形態の「変身」が。ギャラリーTHE TOPと南エントランススペースは壁面の有無という、絵画作品の展示にあたってはきわめて大きな違い(障害とも言える)があるので、7階で展示した作品はそのまま持ってきては本来的には展示ができない。しかし、われわれは作品は変えず、展示方法の変更を試みることで、作品形態の新たな展開・更新を実現したいと考えている。
 近世以前の日本の絵画が建築に付随し(屏風、衝立、襖絵等)、近代以降の日本画が展覧会及び美術館という制度の確立によって特定の建築から離れ、ポータブルな存在となったことを考えると、これは退行のようにも見えるかもしれない。だが、われわれがここで実現しようとするのは、建築からの自立(前者)と、建築への接近(後者)の双方であり、このふたつの対極的な展示を通して、自らの絵画の形式を問い直すとともに、新しい作品の可能性について模索したいと考えている。「時間」(前期)と「空間」(後期)の変化がわれわれにどのような「変身」をもたらしたか、ふたつの会期を通し、その顛末を見届けていただきたい。

概要
展覧会名称:ガロン第3回展「metamorphosis」
ガロンメンバー:市川裕司、大浦雅臣、金子朋樹、小金沢智、佐藤裕一郎、西川芳孝
会期及び会場:2019年9月4日(水)-10月9日(水)午前 9時-午後5時
 前期:第1部metamorphosisⅠ「時間」|9月4日(水)—9月20日(金)
 会場:東北芸術工科大学 本館7階ギャラリーTHE TOP全面、本館1階ギャラリーTHE WALL
 後期:第2部metamorphosisⅡ「空間」|9月23日(月)-10月9日(水)
 会場:東北芸術工科大学 本館1Fエントランス南スペース、本館1階ギャラリーTHE WALL
休館日:土曜日、日曜日、祝休日(ただし9月28日、10月5日は特別開館)
観覧料:無料
主催:ガロン実行委員会

協力:東北芸術工科大学、東北芸術工科大学美術科日本画コース
関連イベント:2019年10月5日(土)午後2時〜、会場:東北芸術工科大学本館1階ギャラリーTHE WALL
アクセス:JR山形駅東口バスプール5番乗り場から路線バス「東北芸術工科大学前ゆき」約20分。

フライヤー|デザイン:青木亮太

アーティストステイトメント

市川裕司

 本企画「metamorphosis」で与えられた、「時間」と「空間」の観点は、対象の在り処を確認するための最たる条件である。果たしてその条件から、私はどの程度自分の在り処を探ることができるだろうか。
 今から約15年前の作品、《evolve》(=進化する)は、学生時代の最終作(修了制作)として、生命の進化を表現の発展に重ねて命名した作品である。人工的な素材の積極的な使用や、屏風の変形様式など、自分が身を置く「日本画」の、既存の形に抗うようにして制作したことを記憶している。一方、現在の制作《visible part》は、人の外見と潜在する内面についてリンゴをモチーフに表したインスタレーションで、ここには最早既存の「日本画」らしき形式は見当たらない。この一見して異なる両者の「時間」を直線で結び付けることは難しいが、制作表現においての厳しい葛藤は、15年の状況変化にも変わらず揺るがないものがある。
 今回の展示にあたり、「空間」については、会期中に展示環境が変更することで、「壁面の有無」と「スペースの縮小化」が要点となった。これに対し、私が適役であると考えたのは、リンゴのオブジェを対平面化した《visible part》の手法である。壁面のある前期では、視覚や対話によって得られる人の印象を表現すべく、部分的に露出したカラフルなリンゴ片を用いて、一方で潜在する部分の存在を示唆する仕様である。後期では、壁面にあったリンゴ片同士を合わせ、壁面からの離脱と規模の縮小化を図った。これは従来の私にはなかった手法でもある。この変化により、潜在部分が露呈した二色のリンゴとなって、人の二面性を表現するものへ意味が転じている。
 「metamorphosis」というテーマから新たな発想が生まれたように、私の作品はこれまでも、条件の変化が創作の契機となっていた。この新たな側面の自覚が、自己の再認識につながっている。今回一番の収穫は正にこの、自分の在り処を見つけるために変化の必要性を感じたことである。

大浦雅臣

 
岸田劉生以来の日本美術や日本画の宿命である、矛盾するものとの共存や融合というテーマを、絵画形式、技法材料、描法から検証しつつ、自らの経験を通し、メカ龍というオリジナルモチーフを生み出すことにより表現してきた。
 今回、2005年制作の修了制作《キカイの龍》の構造を用いつつ、新作として、《Sunset time 2005》の制作を行った。
 学生時代の私は、今よりもっと形式主義的で、明治に日本画が絵画として成立するに当たって捨て去った調度品および工芸としての日本画の要素を拾うつもりで、絵画を掛け替えることのできるスクリーン家具を取り入れた作品を制作した。スクリーン家具はデザイナーの藤村盛造氏と家具会社カンディハウスのご協力のもと制作、そしてその家具にメカ龍を配することで、ジャンルの融合を試みた。
 今回その作品の構造を用いて新たに再制作するにあたり、バーチャルな図表という空間を含めて、意味の層を拡充することにした。
 具体的には、総務省の発表した日本の人口。出生数と死亡数の推移を二つのメカ龍に置き換え、今後の推移予想も含めて死亡数と出生数を表現した。日本において、死亡数が出生数を上回るのは2005年のこと。そこから日本は人口減時代に入った。そこでこの作品では2005年を日の入り時間(Sunset time)としている。
 山形をはじめとして地方は、都市部への人口流入もあって、更に前から人口減・少子高齢化社会に突入している。また今後、更に人口は減っていくことが予想されている。日本は少子高齢化、人口減という意味で、世界の最先端を突き進んでいて、日本の行く末を世界の人々は注目をしている。すなわち、日本は世界の未来であり、山形は東京の未来でもある。人口減社会に入った今、矛盾する中でのより良い答えを出す時がきている。未来はここにある。

金子朋樹

 前期「時間」において私は《回帰の指標 —満足のいく戦いはできたか》(2005年)、《Axis/世界軸 -万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》(2010年)、そして《Undulation/紆濤 -オオヤマツミ-》(2019年)の3点を発表する。
 《回帰の指標 —満足のいく戦いはできたか》の使用素材としてシナベニヤ、寒冷紗、石膏、岩絵具、箔、薄美濃紙、桐板などが示すように、多岐に渡る素材を用い、強靭な基底材の上に絵を描いてきた。作品には木々、金属など様々なものを貼り付け、時に流木や棕櫚縄なども使った開閉式の扉のような作品まで“作って”きた。さらに設置の仕方は、作品を取り囲む空間感のリズムに変化をもたせるために、当時より左右非対称の形式にしている。これは「見立て」という古典の技法に習いつつ、作品の自立、「もの」としての存在など様々な思考を巡らせた結果だった。5年後、《Axis/世界軸 -万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》において絵画の視点への疑問からラウンド状形体を伴った支持体に、素材の特質である透過性に着目した上で薄い和紙を張り合わせ、染料を中心とした薄塗りの表現に展開している。現在では自身の環境変化と共に日本絵画ひいては東洋絵画の文脈の上に在ることの意味を見出し、和紙に顔料、染料と至ってシンプルな素材で表現を行なっている。
 後期「空間」においては前期新作を空間と鑑みてメタモルフォーシス、さらに2010年制作のラウンドパネル作品をメタモルフォーシスすることを試みる。絵と変形支持体の融合点を今回の新作に託し、絵画空間のみならず実空間の中の絵画として焼き付けることを試みる。
 土佐派絵師である光起(1617-1691)の言葉に「白紙も模様のうちなれば、心にてふさぐべし」というものがある。この「白紙」とは、私の表現において大切な間合であり、絵画空間を紡いでいく重要な結節部だ。そしてまた私にとって絵画上の出来事のみならず、あいだを揺らぐ “必要な余剰”であるという点では実空間の中でも同期するのだ。

佐藤裕一郎

 私はこの会場で、「metamorphosis」の言葉が意味する「変身」「変形」と、自身の作品を重ねることにより、自分が見ているもの、描いているもの、そして、これから描こうとしていることを見つめ直そうとする。展示する3作品 −《Underground stem》(2005年、山形)、《Glacier》(2013年、埼玉)、《Koivumaisema》(2018年、Laukaa[フィンランド])は、制作年に隔たりがあると共に、制作場所がそれぞれ異なる。故郷山形で自然の息吹を身近に感じ、制作に没頭していた学生時代。自分を奮い立たせ、都会の片隅でどうにか生きていこうともがいた20代、30代。どこへも行くことができない日々の中で、故郷の山々を恋い、それを超えてもっと遠くへ行かなければならないと、見たこともない景色を、氷河や霧の立ち込める原野を、精一杯想像し描いていた。今、遠い異国で出会った風景に抱かれ、私は深く息をする。
 今回の展示計画にあたり、メンバーと様々な意見を交わす中で、自分がこの展示に何を期待し、何を得ようとしているのかを問い続けた。ガロンが過去の作品を発表することに、どんな意味があるのかと。メタモルフォーシスと呼ばれる昆虫の変態は、それらが生き延びる為の道だという。作品に現れている変化、その時々に試みる作品の変形は、私達が生きる道、表現者としてあり続けようとする痕跡であるかもしれない。
 今日、壁のない空間に躊躇いはない。この会場に立ち、当時の情熱、音、手触りを思い出せるというそのことが、私に一本の鉛筆で白樺の森を描かせる。生まれ育ったこの土地の記憶無しに、私が異国の地フィンランドの風景に、これほど強く心を動かされることはないだろう。私が本展示に期待するのは、ここにある作品の変化の中に、自身の不変を見ることなのかもしれない。

西川芳孝

 私は前期・後期を通して、《鳥》(2010年)、《ボルゾイと猫》(2018年)、《図工の時間》(2019年)の3点を出品する。いずれも「時間」と「空間」の「metamorphosis」というテーマを受けるものである。
 《ボルゾイと猫》は「記憶としての時間と空間」、《図工の時間》は「体感としての時間と空間」をもともとのテーマとしているが、ここではそれぞれのメタモルフォーシスについて述べてみたい。5枚1組の作品である《ボルゾイと猫》は6枚1組の作品へ、1枚の作品である《図工の時間》は2枚1組の作品へ、前期から後期に会期が移るにしたがって形態と点数を変更した。意図としては、壁にかける前期の展示から、立体作品として展示する後期の展示へと展示形態を変えることで、鑑賞者の視点が変化することを狙っている。平面作品である以上、絵画を鑑賞する視点の移動は上下左右であるが、作品は平面である壁面から離れることで、それらに加えて奥行をもたらすことになる。そうすることで、私は鑑賞者の視点が再構築されること、そして各作品の本来のテーマに広がりが生まれることを期待している。
 前期のみ展示する《鳥》は、他の近作と展示されることで、10年弱の時間の経過での私の変化が見てとれるかもしれない。25メートルに及ぶ巨大なサイズの作品なので、歩きながら鑑賞するという行為そのものが、鑑賞者に時間と空間を感じさせることも期待している。

作家解説|執筆:小金沢智

市川裕司

 市川裕司(1979年生まれ)は、「日本画」をベースにしながら、初期から一貫して空間と絵画の関係を問う作品を制作している作家である。多摩美術大学の修了制作として制作された《evolve》(2005年)は、「生命」の進化というテーマ、そして壁面から自立する屏風状の形態という点で、市川がその後制作することになる「Genetic」シリーズに直結している。当時市川は、1990年代から2000年代にかけて作家や研究者の実践と研究によって議論されていた「日本画」の制度や形式に強い関心をいただきつつ、自分なりに「日本画」を換骨奪胎させようと努めていた。《evolve》にアルミ箔、アルミ材、アクリル板という人工的な素材が用いられているのも、市川なりの「日本画」の「伝統」への現代的アプローチの所産にほかならない。
 そして作品は、2010年代に入り、二度の大きな変貌を遂げる。ひとつは、それまでのアクリル板を用いた屏風状の重厚な作品から、ポリカーボネートとアルミ箔を用いた軽みのある作品への変化。これは、市川があるグループ展で広大な空間を担当することになった際、単純に屏風状の作品を巨大化するようなことはできないという判断がもたらしたものだった。もうひとつは、「リンゴ」というモチーフ。これは市川が2012年から2013年にかけて体験したドイツ留学が色濃く反映されている。すなわち、宗教、土地、コミュニティなどで異なる意味を内包しているモチーフであるがゆえに、「世界」に通用する。そしてそれは市川のステイトメントからも明らかなように、個々のリンゴは、「人」のイメージも託されている。カラフルなリンゴは、われわれが個々で違う思想・信条を持ちながら生きていることの暗喩である。
 いわば、抽象的な「生命」から、具体的な生命体としての「人間」へ。広大な展示空間とドイツ留学の体験という、未知の対象との市川の積極的接触が、これまで作品を変貌させていることは疑いえない。

大浦雅臣

 大浦雅臣(1977年生まれ)が武蔵野美術大学に入学し、同大の大学院を修了する1999年から2005年までに、日本美術および日本画の文脈では看過できない、現在の状況にも繋がるできごとが複数起こっている。東京藝術大学美術学部日本画科出身の村上隆(1962年生まれ)が「スーパーフラット展」(渋谷PARCO)で日本のアニメーションと江戸絵画や浮世絵との接続を提唱し、江戸時代の画家・伊藤若冲(1716−1800)の没後200年展(京都国立博物館、2000年)が現在の江戸絵画ブームの先導的役割を果たした。東京藝術大学で油画を専攻しながら日本絵画の様式研究を作品に反映させた山口晃がミヅマアートギャラリーを中心に発表を始めるのは1990年代後半からで、2001年には天明屋尚が「ネオ日本画」を標榜して活動を開始、「日本美術応援団」を赤瀬川原平と結成した美術史家・山下裕二が彼らの活動を後押しする。2005年には、若冲をはじめとする「奇想」の画家たちを再評価した辻惟雄『奇想の系譜』がちくま学芸文庫から復刊された。すなわち2000年前後、「日本絵画」は「現代美術」との蜜月で、そしてそれは今や一般化している。
 大浦の作品が特異なのは、村上、山口、天明屋らの作品の絵肌が「フラット」でありながら現代的感性を付け加えることで江戸絵画との接続を果たそうとしたのとは異なって、近代以降現代までの「日本画」の様式・技法を研究、取り入れながらそれを行おうとしている点にある。つまり、岩絵具という素材だからこその色面構成やマチエールの作り方。したがって作品は、モチーフとしては古典的でありながら、歴史を経た現代ならではの「画面」となっている。今回展示している《朱雀図》と《玄武図》は、いずれもキトラ古墳で発見された神獣であるが、オリジナルの平面的なイメージからボリュームをたたえた存在へと変質している。大浦曰く本作は院展の作家の技法を意識したものだといい、これが大学の卒業制作(いずれも2003年制作)なのだから、大浦の先進性がうかがえる。近年の作品が、それに加えて現代社会への批評性を積極的に取り入れている点に、大浦の作品の小さくない変貌がある。

金子朋樹

 東京藝術大学博士課程在籍中に制作された《回帰の指標 −満足のいく戦いはできたか−》(2005年)は、現在の金子朋樹(1976年生まれ)の作品からするといかにも「異質」な作品である。この当時の金子は、近年の薄塗りの表現とは異なって、バラエティに富んだ、「日本画」として一般的ではない素材も積極的に用いながら、画面へのコラージュを行うようにして作品を制作していた。同時代の「日本画」の文脈に従うなら、それらの作品は、岡村桂三郎(1958年生まれ)や内田あぐり(1949年生まれ)、さらにさかのぼれば上野泰郎(1926−2005)らの作品群をルーツに持っていると考えられる。いずれも金子がかつて継続的に出品していた創画会に深く関係する日本画家たちである。さらには、前身とする創造美術がその宣言に「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」(1948年)と掲げていたように、彼らが作品に対し「日本画」とも「洋画」とも異なる「日本絵画」の創造を求めていたことを、金子の作品を鑑賞する際に思い出すことも、あながち的外れなことではない。
 つまり、国内では「洋画」と対抗するようにして、国際的には「世界標準」を目指すようにして、それゆえに、厚塗りや、異素材の使用といった「日本画」らしからぬ様式を手に入れた戦後の「日本画」の歴史。どの作家も環境や歴史から自在になれないことを考えれば、この時期の金子の作品を、その流れを踏襲するものとして位置付けることは可能である。
 そしてそれが、ラウンドした変形パネルを使い、染料を中心とした薄塗りの表現へ移行したのが2009年前後か。この変化について「自身の環境変化と共に日本絵画ひいては東洋絵画の文脈の上に在ることの意味を見出し」と自ら述べていることから明らかなように、金子は明治以降現在までの「日本画」の歴史や文脈以上に、いわば「日本画」以前の「日本絵画」のルーツへと目を凝らしながら、現在の研究と制作を行っている。

佐藤裕一郎

 佐藤裕一郎(1979年生まれ)の作品の変貌について語ることは、一見難しくない。すなわち、居住する場所の変化とともに、「抽象」から「具象」へ、その画面が大きく変化しているからだ。出生地であり、学生時代までを過ごした山形(−2005年)、都心での制作・発表を求めて転居した埼玉(2005−2016年)、そして文化庁新進芸術家海外研修制度研修員を機に、研修の終了後も住んでいるフィンランド(2016年以降)。周辺の環境の変化にともなって、基調となる色彩も茶、青、白黒のモノクロームと変化している。
 ただ、佐藤のステイトメントは、なるほど作品はさもわかりやすい変化があるが、そのなかで一貫した「風景」への憧憬があるのだと、私たちに教えてくれる。つまり、いわゆる「抽象」的な画面もまた、佐藤が身近な環境・風景の中に身を置くなかで抽出されたものなのだと。
 さて、活動の初期から佐藤は大画面を持ち味とする作家だった。空間全体を包みこむようなスケールの作品は、現代の「日本画」の一部の作家たちに見られる大画面主義とも言える作品群を連想させる(歴史的にはそのルーツに、「展覧会芸術」を標榜した川端龍子、そして龍子が結成した青龍社の存在がある)。
 だが、作品のサイズとは本来的に内容から求められるものであり、内容に先立って選択されるものではない。つまり、佐藤は当初から、とてもひとりの人間では把握できない巨大な空間—「風景」を、絵画によって再創造しようと試みていたのではなかったか。そうでなければ、2016年、フィンランドで出会った樹木の立ち並ぶ風景をモチーフに描くという「転向」が、はたしてひとりの作家のなかで整合性ある判断として、行われるだろうか(作家の変質に整合性が必要かという問いはひとまず保留して)。すなわち少なくとも佐藤本人にとっては、外貌は変化しつつも作品は一貫した思考の中に位置づけられる。時期の異なる3点が展示される本展において、その思考を見きわめたい。

西川芳孝

 西川芳孝(1979年生まれ)の絵画は飾り気がない。たとえばパークホテル東京のコミッションワークとして、客室の壁面に描かれた「竹」をモチーフにした絵画の意図に対して、「都会で忙しく過ごす人が、この部屋でゆっくり休めますように」と西川は語ったという。描かれた竹は清涼感にあふれている。つまりそこには、美術史に対して新たな価値を創出するという「現代美術」(コンテンポラリーアート)の作家であれば当然抱くはずの意思というよりも、「美術」の関係者にかぎらない、この社会に生きる同時代の人たちにただ自作を鑑賞してもらいたいという思いが前景化されているように、私には思われる(西川に、前者がないということではない)。
 これは西川が近年発表の主な舞台としている「从会」とも関係をしているかもしれない。同会は、中村正義、星野眞吾、山下菊二、斎藤真一、大島哲以、佐熊桂一郎、田島征三を創立会員として、画家自身の苦悩や憤り、疑念までも含めた生き様を絵画として画面に定着させ、社会に対して投げかけてきた。そこにあるのは、自己と、その周囲の社会・環境、そこで生きる人間に対する眼差しである。飾り気のない等身大性こそ、西川の持ち味ではないか。
 本展で展示されている《図工の時間》(2019年)は、西川が多摩美術大学大学院を修了して以来勤務している画塾をモチーフにしたものであると聞く。「美術」や「絵画」ではなく、日本の初等教育で用いられる「図工」(図画工作)をタイトルに用いているのは、高等教育を迎える以前の「描くこと」に対する純粋性への欲望のあらわれといえるだろうか。大作の《鳥》(2010年)は、地を「宇宙」のイメージとして、巨大な鳥を数羽描いた作品であるが、これも会場のスペースに対してとにかく自分をぶつけてみようとした結果の試みであっただろう。今自分が描きたいものはなにか、できることはなにかと、常に自己と対峙しながら描くその姿勢は、時間を経ても一向に揺れ動いていない。

アーカイブ|前期・後期会場映像|撮影:草彅裕

アーカイブ|前期「時間」会場写真|撮影:草彅裕

アーカイブ|前期「時間」展示解説|執筆:小金沢智

THE WALL(東北芸術工科大学本館1階)
 ガロン第3回展「metamorphosis」は、前期「時間」(9月4日-9月20日)、後期「空間」(9月23日-10月9日)の二部構成をとっている。展示空間の差異がテーマ設定の差異に関与しており、前期では、作家5名の「時間」による作品変化を検討する。
 グループ「ガロン」のメンバーは、市川裕司(1979年生まれ)、大浦雅臣(1977年生まれ)、金子朋樹(1976年生まれ)、小金沢智(1982年生まれ)、佐藤裕一郎(1979年生まれ)、西川芳孝(1979年生まれ)と、1970年代後半から80年代前半に生まれている。よって、多少のばらつきはあるものの、1990年代後半から2000年代半ば頃にかけて学生生活をおくり、それぞれの制作や研究活動を続けてきたということになる。つまり、現在までおよそ20年間の「時間」の流れがある。
 このことに注目し、本展では、2000年代はじめの時期に制作された作品と、近作をともに展示することで、5人の作家の作品にどのような変化が起こったのか(あるいは起こらなかったのか)検証する。テーマ、素材、形態など、作品を構成するいくつもの要素の「metamorphosis」(変身)に注目していただきたい。
 はじまるとなる1階では、東北芸術工科大学を卒業し、現在はフィンランドで活動する佐藤裕一郎と、東京藝術大学を卒業し、現在は東北芸術工科大学で専任講師を務める金子朋樹という、山形と縁の深いふたりの初期作品を展示している。7階に展示中の近作と合わせて観覧することで、作家といってもその活動の中で小さくない変化をしていることに気がつくはずだ。7階では作家5名の12点を展示中である。

 さて、わたしたちはいわば駆け出しの時期に「ガロン」として2007(平成19)年12月から活動をはじめたわけだが、学生時代を含む2000年代は、「日本画」及び「日本美術」にとって変革の時期だった。2003(平成15)年のシンポジウム「転移する日本画」で現代における「日本画」が検討された一方、2006(平成18)年の展覧会「No Border -「日本画」から/「日本画」へ」(東京都現代美術館)ではその「日本画」はもはや「No Border」ではないかと問いかけられた(出品作家には、東北芸術公開大学で教鞭をとる長沢明、三瀬夏之介がいる)。十数年を経てもいまだ「日本画」は明確な定義を持たされず、異なる解釈のもとそれぞれの作家の活動が行われているが、その混迷する「日本画」概念の他方で、近世以前の「日本絵画」は「奇想の画家」伊藤若冲(1716-1800)に代表されるように2000年代以降一躍人気を博し、現在に至っている。疑惑の目を向けられる「日本画」と、賞揚される「日本絵画」のギャップ。わたしたちの活動が、そのような背景も持ちながら展開していることを付記しておきたい。「metamorphosis」とは、近世以前の「日本絵画」から近代以降の「日本画」への「制度変化」も含んだ問題設定にほかならない。

THE TOP(東北芸術工科大学本館7階)

 さて、1階から続く本会場では、5名の作品を展示している。時計回りに鑑賞していただくとして、前半部分に初期作を、後半部分に近作・新作を展示する構成としたが、例外的に、西川芳孝の《鳥》(2010年)を、その向かいの壁面ほぼすべてを用いて展示することにした。これは西川がかつて個展会場に合わせて制作・発表した作品で、全長25メートルに及ぶ。西川の「鳥」とともに過ごすようにして、各作品をご鑑賞いただきたい。
 「metamorphosis」(変身)と言っても、作品の変化とはさまざまだ。市川裕司の場合、それは形態と素材の変化としてあらわれた。屏風を変型したかのような形態に、顔料や膠を用いて制作された作品《evolve》(2005年)は、「日本画」の形態と素材への批評的応答と見られる。だが、ドイツ留学(2012-2013)を契機として、いまや作品からその影は発見できず、現在は「日本画」からゆるやかに離脱しながら新しいテーマを追求している。大浦雅臣の場合、むしろそのテーマは、日本絵画史上のモチーフや技法・材料の大浦の視点からの現代的継承という点で、学生時代から一貫している。近年はそこに、技術の向上と、なによりモチーフの形態に対する社会批評的視点の導入を、《Nikkei225 index of 1970-1989》(2018年)をはじめとする作品から見たい。それはただの「日本趣味」ではない。金子朋樹の場合、1階で展示中の《回帰の指標 —満足のいく戦いはできたか》(2005年)と新作を合わせて見たとき、素材変化による画中の空間に対する認識変化が見て取れるだろう。東京から山形へと転居したことによるモチーフの違いもあるものの、ラウンド状の形態をはじめ、金子の関心は自立した絵画空間の構築へとそそがれているように思われる。佐藤裕一郎の場合、「抽象」から「具象」へという一見わかりやすい変化が訪れている。だが、山形(-2005年)、埼玉(2005-2016年)、フィンランド(2016年以降)と異なる時期・土地で描かれた3点の作品を同時に展観することで、その内容の変化が浮き彫りになると同時に、佐藤の核のようなものが見えてこないだろうか。西川芳孝の場合、サイズの違いは過去の展示場所に伴う瑣末なもので、他者への視点は一貫している。大学卒業以来、絵画教室で働きながら制作を続ける西川は、仕事での子供たちとのやり取りの中で得たものを作品に反映しており(《図工の時間》2019年)、それは《鳥》で空間を征服しようとした画家の精神とは異なるように思えるが、身近な存在を描こうとする眼差しに変わりはない。
 そして、わたしたちはここからさらなる「metamorphosis」を求め、後期「空間」の変化にともなって、前期で展示中の複数の作品の形態を変化させる。9月23日からはじまる1Fエントランス南スペース、本館1階ギャラリーTHE WALLでの後期「空間」を、あわせてご覧いただきたい次第である。

アーカイブ|前期「時間」出品作品リスト

THE WALL(東北芸術工科大学本館1階)
・金子朋樹《回帰の指標—満足のいく戦いはできたか—》2005年/シナベニヤに薄美濃紙寒冷紗、石膏、岩絵具、箔、桐板、他/245×540㎝/作家蔵
・佐藤裕一郎《Underground stem》2005年/パネルにベニヤ板、土、砂、鉄粉、顔料、岩絵具/270×720cm/作家蔵

THE TOP(東北芸術工科大学本館7階)
・市川裕司《evolve》2005年/顔料、ジェッソ、アルミ箔、樹脂膠、アクリル板、木材、アルミ材/150×520cm(平面時)/作家蔵
・市川裕司《visible part》2019年/塗料、ウレタンフォーム、スチロール/インスタレーション/作家蔵
・大浦雅臣《玄武図》2003年/パネルに雲肌麻紙、墨、胡粉、岩絵具、水干絵具、金箔、三千本膠/182×194cm/作家蔵
・大浦雅臣《朱雀図》2003年/パネルに雲肌麻紙、墨、胡粉、岩絵具、水干絵具、金箔、三千本膠/182×194cm/作家蔵
・大浦雅臣《Nikkei225 index of 1970-1989》2018年/パネルに三彩紙、岩絵具、墨、箔、泥、樹脂膠/182×360cm/作家蔵
・大浦雅臣《Sunset time 2005》2019年/パネルに三彩紙、銀箔、銀泥、岩絵具、水干絵具、墨、樹脂膠/180×360cm(サイズ可変)/作家蔵
・金子朋樹《Axis/世界軸 -万象は何を支軸に自転し、そして公転するのか-》2010年/ラウンドパネルに富山五箇山悠久紙、八女肌裏紙、新聞紙、正麩糊、墨、箔、三千本膠、天然蜜蝋、顔料、染料/258×515cm/作家蔵
・金子朋樹《Undulation/紆濤 -オオヤマツミ-》2019年/パネルに高知麻紙、顔料、染料、墨、箔、泥/364×564cm/作家蔵
・佐藤裕一郎《Glacier》2013年/パネルに紙、顔料/240×700cm/作家蔵
・佐藤裕一郎《Koivumaisema》2018年/パネルに紙、石墨、胡粉/300×780cm/作家蔵
・西川芳孝《鳥》2010年/新鳥の子紙、墨、墨汁、胡粉、膠/270×3200cm/作家蔵
・西川芳孝《ボルゾイと猫》2018年/パネルに鳥の子紙、墨、顔料、金泥、胡粉、膠/92.5×46.5cm(5枚組)/作家蔵
・西川芳孝《図工の時間》2019年/パネルに高知麻紙、墨、顔料、岩絵の具、胡粉、膠/119×58.5cm(2枚組)/作家蔵

アーカイブ|後期「空間」会場写真|撮影:草彅裕

アーカイブ|後期「空間」展示解説|執筆:小金沢智

THE WALL+エントランス南スペース(東北芸術工科大学本館1階)
 「時間」の経過による作家の「metamorphosis」(変身)を検討する前期展示(9月4日-9月20日)が終了し、後期展示(9月23日-10月9日)では「空間」をテーマとして、主に前期展示作品の展示空間変化にともなう形態変化に焦点を当てた展示を行う。つまり、絵画作品を壁面に掛けることが可能な仕様となっている本学7階のスペース・THE TOPから、一部(THE WALL)壁掛けが可能であるものの、そうではない部分(エントランス南スペース)を多く含む空間へ展示場所が移ることによって、作品がおのずと「metamorphosis」(変身)を迫られるというわけである。
 具体的には、それらの多くは作品の「自立」という形態となってあらわれた。「屏風」状の形態を採用したのは、金子朋樹と佐藤裕一郎の2名である。金子は、16のパネルに分割される《Undulation/紆濤 -オオヤマツミ-》(2019年)に対し、パネルの結合を本来の姿からズラすことで変形屏風とも言える形態を作り出した。現在、金子にかぎらず日本画で大作を制作するにあたりパネルを複数枚組み合わせることは一般的に行われているが、全体を組み合わせたとき生じるわずかな隙間は本来、イメージにとってノイズである。複数枚からなる作品であることに積極的な意味・目的を見出した作品と言える。佐藤は《Glacier》(2013年)において、作品をラウンド状に自立させることを試みた。かねてから佐藤はそのような展示形態を作品発表にあたってしばしば採用しており、それは結果的に佐藤の「風景」を彷彿とさせる作品の中に鑑賞者を没入させる働きを持つ。作品の内容によって、しかるべき形態が導かれるという事例である。
 このような屏風・襖絵の形態をはじめとして、かつて「調度品」として存在していた日本絵画の性質を省みて、大浦雅臣は2005年、武蔵野美術大学修了制作にあたってスクリーン家具を制作し、その上に絵画を掛け替えることが可能な作品《キカイの龍》(2005年)を制作していた。本作は、まさしくそれを証明するかのように、新たに制作した絵画と取り替え、《Sunset time 2005》として発表するものである。かねてから大浦が、古典を現在に生かすための試みを思索し、それがこのような形態であったことが興味深い。
 それら、いわば古今の日本建築との結びつきから発想されたと思える作品に対して、西川芳孝と市川裕司は若干異なる視点を提供している。西川の《ボルゾイと猫》(2018年)は、前期では5枚組であった作品に1点を加え6枚組とし、構造として木材を用いて円環状に自立させようと試みている(9月8日現在)。床面から立ち上がるかのようにモチーフである犬(ボルゾイ)と猫を見せるそのあり方は、絵画というよりも彫刻の展示を思わせるものだ。一方、前期では200弱のリンゴを壁面に配置する作品《visible part》(2019年)を発表した市川裕司は、過去作品の《世界樹Ⅰ》(2014年/前期未出品)と組み合わせることで、作品の新たな展開を試みている。カーテンレールを使い、ポリカーボネートを上から下へと垂らすようなこの作品形態は、市川がドイツ留学を機に現地の建築から見出して以来使用しているものでありながら、見方によっては掛け軸のようでもある。
 さて、後期展示にあたって金子は、作品が重なり合い、林立し、干渉し合うことで、2つのスペースからなる会場が全体として一続きの「劇場」「舞台」となるようディレクションを行った。エントランス南スペースのガラス窓から見える「外部」としての鏡池、能舞台、そして山形の山々をも含んだ展示として、全体を鑑賞していただきたい。

アーカイブ|後期「空間」出品作品リスト

エントランス南スペース(東北芸術工科大学本館1階)
・市川裕司《visible part》2019年/塗料、ウレタンフォーム、スチロール/インスタレーション/作家蔵
・市川裕司《世界樹Ⅰ》2014年/690×396cm(部分/オリジナル:690×1200cm)/アルミ箔、樹脂膠、ポリカーボネート/作家蔵
・大浦雅臣《Sunset time 2005》2019年(2005年作品の改変)/スクリーン家具、パネルに三彩紙、岩絵具、水干絵具、銀箔、銀泥、墨、樹脂膠/180×360×7cm/作家蔵
・金子朋樹《Undulation/紆濤 -オオヤマツミ-》2019年/パネルに高知麻紙、顔料、染料、墨、箔、泥/364×564cm/作家蔵
・佐藤裕一郎《Glacier》2013年/パネルに紙、顔料/240×700cm/作家蔵
・西川芳孝《ボルゾイと猫》2018年/パネルに鳥の子紙、墨、顔料、金泥、胡粉、膠/92.5×46.5cm(6枚組)/作家蔵

展示設営協力

東北芸術工科大学美術科日本画コース有志学生スタッフ

石井 瑛穂
石橋 翼
伊藤 みさき
加藤 聖乃
菊池 ひかり
斎藤 咲希
下田 実來
關 越河
土田 翔
鍋谷 皓也
正村 公宏
渡邉 佑也