2nd|2012

開催概要

趣旨
小金沢智

 美術という言葉が明治初期に作られてから100年余り。明治6(1873)年のウィーン万国博覧会への出品を機に、外国語の翻訳語としてきわめて対外的な必要性から作られたその言葉は、公と私、西洋と日本、伝統と前衛、技巧と素朴、ハイカルチャーとロウカルチャー、そういったさまざまな質の対立項を次第に呑みこみながら、それゆえのハイブリッド性を核としつつスパイラルに意味内容を更新してきました。
 今や「アート」とも呼ばれ、多種多様なジャンルの中でその表現を進化させている美術なるもの。そのうち、本展出品作家が表現の拠り所とする日本画、陶芸、鋳金、染織、木彫の諸ジャンルは、いずれも明治以降形作られた芸術と工芸の価値観の狭間で今なお揺れている分野です。とはいえ、本展の目的はそれらのジャンル上のヒエラルキーを問い直すことにはありません。なぜなら、それらの作家たちは常に両極へと思考を行き来せざるをえない出自によってこそ、それぞれの表現の可能性を突き詰めているからです。
 展覧会場の埼玉県川口市の旧田中家住宅(国登録有形文化財)の中を歩いて回ると、いかにも洋風然とした外見とは裏腹に、和風の畳敷きの部屋が実に多いことに訪れた方々は気がつくでしょう。それは大正12(1923)年に洋館が建てられたのち、昭和9(1934)年に和館が増築されたからにほかなりませんが、なるほど近代化が西洋化と同義であったと言えども、実際にはそれ以前のしつらえも求められていたということが旧田中家住宅からはうかがえます。
 このように私たちは一様ではありえない日本の背景を抱えながら、雑多とすら言える文化の結節点を日々更新しながら生きています。20代前半から30代半ばの若手作家9名による、ハイブリッドな日本美術の現在地点をぜひこの場でご体感ください。

概要
展覧会名称:ガロン第2回展「日本背景」
出品作家:
 ガロン:市川裕司、大浦雅臣、金子朋樹、佐藤裕一郎、松永龍太郎
 ゲスト:金理有(陶芸)、後藤雅樹(鋳金)、前川多仁(染織)、山本麻璃絵(木彫)
企画:小金沢智
会期:2012年2月14日(火)—3月18日(日)
時間:9:30-16:30(入館は午後4:00まで)
休館日:月曜日(2/20、2/27、3/5、3/12)
入館料:一般200円(160円)、中・小学生50円(40円)※()内は20名以上の団体料金
会場:旧田中家住宅(国登録有形文化財)|〒332-0006 埼玉県川口市末広1丁目7番2号
主催:川口市、川口市教育委員会、ガロン実行委員会
後援:公益財団法人佐藤国際文化育英財団・佐藤美術館
協賛:埼玉画廊、川口市華道連盟、筝和会、筥﨑山地蔵院、富士山西光寺、花岡神仏具店、NPO法人川口フィンランド協会、サンルイ皮ふ科 高田任康、宍倉慶治、小谷三夫、奥田道子、千葉乙郎
協力:ギャラリー58、gallery neutron
認定:公益社団法人 企業メセナ協議会
オープニングイベント:2012年2月18日(土) 13:00〜15:00|座談会「今日の日本の生活の芸術」(福住廉、小金沢智、市川裕司、前川多仁)
アクセス:SR埼玉高速鉄道川口元郷駅より徒歩8分

フライヤー|デザイン:塚原敬史

自作解説

市川裕司
 私の作品は「日本画」の考え方(制作の組み立て方)をもとに、平面絵画や立体、インスタレーションなどの空間作品を手がけます。今回、旧田中家住宅の展示にあたり時代や状況の背景にかさねて作品制作を行っております。

《円環》

 昨年、川口市内のとある旧家を解体する際に取りおかれた障子戸を譲り受け、それを母体に、折り紙や屏風などにヒントを得てつくられた立体的絵画です。薄く透明な板に描かれているのは、波涛の渦です。それは生命誕生の揺りかごであると同時に、東日本大震災で全てを更地へかえした惨劇の象徴でもあります。

《1923》
 旧田中家住宅の洋館は1923 年に完成し、その直後関東大震災に見舞われることになる。この事実を知った時“1923”という数字がこの建物にとって特別なものと感じました。これは「書斎」として使われていたこの場所に、「書斎」を示す“椅子”と座面に施した“1923”回の箔押しによって形作られた、記憶を表す作品です。

《eschaton O》
 1階、2 階の作品と異なり、場所との関係性を持たせないという関係をもたせた作品です。「eschaton」はギリシア語で終末を意味しますが、球状となった箔押しの面は完結を迎えながらも、あたらしい空間の広がりを内包する不思議な包容力をもった作品といえます。

大浦雅臣

 僕は日本画や日本美術、日本というものを常に考えて制作をしております。今回の2 点については「人間」をテーマに、技法や構図については、歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊藤深水に至る歌川玄冶店派という江戸後期から昭和に至る浮世絵― 美人画の系譜を自分なりに検証して制作しております。

《それでもなお》
 人間は業が深い。しかしそれでも、崇高なものを目指し続けるという思いを描きました。

《百鬼道中図》
 この作品には、まだ右に続きがあります。自分の悩みや思いを記号として使いながら、人間模様を描き続けております。

金子朋樹

 戦国の世に生まれた茶道は、武家のみならず人々に癒しと生きる力(生命力)を与えるものでした。それは、今この瞬間に生きる私たちにも必要とされるものでもあります。茶の湯は自在に流れる水をもって成立するように、私たちの生命もまた全ては水から宿され、生きる上でもまた欠かせないものであります。
 旧田中家住宅茶室は内露地(中庭)、4.5 畳茶室(奥)、8 畳茶室(手前)、水屋からなる建築物です。金子朋樹と金理有は内露地、4 . 5 畳茶室、8 畳茶室の3 つの場を利用し、三様の空間創出を試みています。其々の場にテーマを設定し、空間における循環と滞留を作品に置換しています。内露地では水及び生命というテーマの元、茶室の導入部として展開しています。また、4.5 畳茶室では花をテーマに空間創出を行います。4.5畳茶室の空間が茶室に生ける花、“茶花”の役割を担います。最後の8 畳茶室では、伝統的かつ形式的な設えを踏まえ、“建物との調和”、“絵画と陶芸との調和”、そして“自己表現”のバランスに配慮した空間を目指しています。尚、金理有氏のご協力により、実際に茶会が行えるよう設えています。

《Life/ 懐胎 ─全てを閉じ込め、優しく抱み込む─》、《Life/ 誕生 ─全てを分離し、強く解き放つ─》
 Life/ 懐胎では文字通り全てを包み込むイメージ、Life/ 誕生は開放のイメージをもって表現しています。プロダクト(支持体)と“絵”の融合点をラウンド状の形体に託し、日本の広義でのライフ(生活)空間である茶室に着地することを試みました。尚、石畳の配置を考慮の上、それらに沿うように設置しています。また、8畳茶室内から展望出来、かつ入口から見て内露地の奥へ向かう景色が遮られないよう配置しています。

《Petal/ 花弁 ─妖しく艶やかに─》
 金理有氏の“種子”を表す作品に対し、3 つのラウンドオブジェ(楕円形の絵画作品)を用いて“花弁”を表現しています。

《水鏡図》(掛軸一幅)《空遊図》、(腰風炉先屏風)、《空遊図》(六曲一隻)
 観光地である反面、軍用地として重要な役割を担う私の出生地。ヘリコプターをこの地の“日常の中の非日常”の象徴として表現し続けてきました。未だ陰の中の真実として私自身のリアリティーが喚起させられるものです。今回、地と空を行き来する象徴としてヘリコプターを茶室という“宇宙”に旋回させてみたかったのです。完結された神聖とも言える空間の中で、私は空遊し、そして旧田中家住宅の歴史を俯瞰するのです。

金理有

 私の作品は器物形に近いものが多いですが、それは壺などの古来よりある陶器と人間の身体との近似性をそこに見いだしたからです。全てが肉体の比喩であり、ポートレートでもあります。焼物は無垢の固まりで焼成出来ないため内側は中空になりますが、皮状の実体(SHELL)とともに内側の虚ろに宿る非在なるもの(GHOST)も重要だと考えています。虚実の問題、これは仏教の「空」や哲学の「存在」という認識とも密接に関わる、芸術に於ける大きな主題の一つだと考えています。
 加えて、実際に用途(機能)を持ち使用して頂けるものも多数制作しています。自分自身の中で「見るだけの物」と「使えるもの」の明確な線引きはありません。「穴」という形態は造形であり同時に用途としても機能します。用途、これは使用者、所有者が持つ作品への参加権、創造性だと考えています。極端な話をすれば観賞用の絵画であっても所有者が何らかの工夫をすればお盆として使ってもいいと。近代美術に於いては表現の自立性、純粋性そのものが価値を担保していた事実もあると見知っているのですが、もはやその観念がヒエラルキーの上層に置かれる価値観は変異し始め、用途を拡張性として捉えられる時代になり始めたと肌で感じています。これは日本美術の文脈を伏線とし、西洋近代美術の観念に提示する新たな価値観としての可能性を内包しています。
 奇しくも「焼物」という表現媒体と出会った私自身、その観点を考察し利点へと変換する貴重な機会を頂いたと感じています。その前提において、居住空間であった旧田中家住宅での展示は非常に意義のあるものだと考えます。現代の生活空間からは些か乖離しているとのご指摘もあるかとは存じますが、元来日本の美術とは生活空間の中で愛でられたものであり、そのサイズ感は人間の身体性とも無関係ではありません。美術を提示する場所が美術館や画廊といった近代西洋的な美術鑑賞法(形式)が当たり前になった現在だからこそ、一つの多様性の極を設定する試みとして今回の展覧会は意義のあるものだと感じ批評的な提示を以て今回の展示に臨んでいる、というのが私の姿勢だと最後に重ねて述べさせて頂きます。

後藤雅樹

《匣形の海》
 多くの金属はリサイクルされ循環している
 金属を100Kg 注文したら、廃品カギの山が届いた
 その数約5000本
 このカギの山を高熱で溶かし、一つの塊へと産まれ変わらせた
 それは5000の物語を凝縮させたスープのような存在
 この建物には、文化財である以前に住宅としての確かな記憶が宿る
 それは、目には見えない海の中で永遠に在り続けている

佐藤裕一郎

 三階洋間、この建物において特異な雰囲気を持つ部屋。客人をもてなし、この建物の素晴らしさを存分に魅せた部屋である。
 この度このような部屋で、鋳金の作品を制作している後藤雅樹氏と絵画を制作している私の二人で空間を創ることになり、場の雰囲気に物語を持ち込んで、この部屋全てを体感できるようなスケールを持つ作品にしたいと思った。

《Traces》
 空間を動かす背景として、強固で重厚なトランクの後ろに聳える。
 画面の黒い痕跡は、不明瞭で不確かであるが、この建物に確かに感じる気配や記憶、時間を暗示し、何かを形象化するかのようで消えていく残影である。
 群像なのか風景なのか。
 どこか異国の世界かもしれない。
 色のない茫漠とした森。
 黒い沼に浮かぶ、永遠を詰め込んだトランク。
 記憶を置き去りに時間だけが流れ続ける。

前川多仁

 神は崇高な存在であり、かつ日常から断絶されることなく、その延長としても存在する。祭は人々の生活に密接にありながら、人々を日常から神聖な異空間へと導く。祭につかわれる装飾品は、生活としての空間を日常から神聖な空間へ切り替える装置なのかもしれない。
 ポストモダン以降、宗教もかつての絶対的機能を失った。しかし私たちは、心のよりどころにする神なるものを失ってはいないはずである。むしろ消費社会に野放図にあらわれるサブカルチャーの中で、神なるものは増殖しつつあるのではないだろうか。例えば人力を超えた無敵の存在であるテレビヒーローは、私にとって神の代替ともいえる。
 旧田中家を訪れて、私は祭にも似た呪術的なものを感じた。細部まで過剰なほど作りこまれた建物の装飾や庭園は、日常にありながらも日常を越え、神なるものの領域へ向かわせる装置のようでもある。この避け難く人々が求める神なるものを、よりいっそう引き寄せるために、私のヒーロー≒神をかつての生活空間に降臨させてみたかった。
 まずは玄関に展示した、ヒーローを描いた幔幕をくぐり抜け、神の領域へ導かれる呪術的感覚を感じとってもらえれば幸いである。

松永龍太郎

《ラグランジュポイント》
 《ラグランジュポイント》は小豆島に滞在中制作した作品です。ラグランジュポイントとは天体力学における用語で、3 つの天体が均衡する正三角形の位置関係の意です。小豆島では正三角形の位置に展示しておりました。
 小豆島では私が普段見られなかった星々を眺め、点在する銀河に瀬戸内海の島々が重なり、そこから時間と空間を飛び越え、歴史的な建物をタイムマシン見立て、集合するという設定を軸にしました。
 さらに小豆島の秋祭りに集う様々な世代、家族を目の当たりにし、三世代に渡る血縁関係の少女たちという設定に取り入れました。本展では本来の場所ではありませんが、歴史的な場所に様々なものが集うという点に沿って展示いたしました。

《ZENRYOKU!》
 《ZENRYOKU!》は近頃心に引っかかった事象を瞬発的に、ダイレクトに形として残そうという思いと、田中邸という和洋折衷ハイブリッドな場所に加え、前川氏の作品と合わせるという前提もあり、また雛祭りの時期ということも視野にあり制作するに至りました。
 アイドルグループ、ももいろクローバーZ。キーワードとなっている全力という言葉。今、自分においてもガロンにおいても、また日本全体にとっても象徴として掲げたいホットワード。
 全力少女たちはまさに今、華麗に変身する。

山本麻璃絵

 旧田中家住宅はその名の通り、元田中さんちです。
 田中さんの気配の妨げにならない程度に、作品を闖入させてみました。

 お邪魔します。

アーカイブ|会場映像:相羽浩行、松山圭介

アーカイブ|ガロン第2回展「日本背景」総括|執筆:小金沢智

はじめに
 展覧会会期中に総括のテキストを書くというのは、書こうとしてみるときわめて難しいことで、というのは、まだ展覧会の総体を自分自身うまく咀嚼できていない。展覧会はもとより何かしらのコンセプトを土台とし、そこに実施に向けての実践的思考を積み重ねてゆく必要があるが、実際に作品が会場に置かれ、展覧会が始まってみると、それらはそういう頭の中で考えていた思考をやすやすと超えていく。だから展覧会を作ることは面白いと言えるし、だからまだ作品がそこここにある状態で総括をするのは難しい。書きながら考え、また、書き終えてもしばらく考え続けることになるだろう。
 本展について書いていく前に、まず展覧会の経緯について、その前段階から記しておく必要がある。
 ガロンは、「日本絵画を出自としている私たちに提示できるものは何か」という思いから、作家主体の自主企画として2007 年に発足した。金子朋樹と松永龍太郎の2 人を発起人として、市川裕司、大浦雅臣、佐藤裕一郎、西川芳孝の日本画を出自とする計6 名の作家と、日本美術史を専門とする私からなる。年齢は、上は1976 年生まれから、下は1982 年生まれだから、ほぼ同世代と言ってよい。はたして世代論が可能かというのは今後展覧会を重ねていく上で俯瞰的に見えてくることであるだろうが、とにかくガロンというグループは、日本画/日本絵画、世代、そして男性という点を共通項として持つ。
 第1回展を行なったのは、発足から約3 年が経った2010年6 月、瑞聖寺ZAPギャラリー(白金台)においてである。1670 年に創建された黄檗系の単立寺院、瑞聖寺の敷地内には、住職である古市義伸氏の発案で若い作家を対象としたZAPというプロジェクトスペースがある( ZAP=Zuishoji Art Projects )。寺院敷地内にあるものの、ギャラリー自体は、多くの人が寺院と聞いて想像するような木造の建物ではなく、いわゆるホワイトキューブにきわめて近いクールな設えだ。そういった1階ギャラリー空間に加え、2 階和室も合わせて使用させていただき、各階3 人ずつ、展示を行なった。特に展覧会コンセプトは定めず、各自最新作を発表することを条件としたが、しかし結果としてグループとしてのまとまりが希薄な展覧会になってしまったことが反省としてある。つまり、日本画出身の、世代をほぼ同じくする男性作家のグループ展、以上の意味を持てなかったのである。終了後、第2回展を考えていくにあたり私たちが最も練り上げる必要があったのは、一つのグループとしてのまとまりある展覧会をどう作るか、ということだった。

今日の注文芸術
 そういった中、私から作家に提案したのが、画題を予め与えられた「お題」として決め、お題にそって作家が作品を制作、展覧会を作り上げる、というものだった。「今日の注文芸術」と題したその展覧会企画書で、私は次のように書いている(2011年1月)。長文になるが一部引用しておこう。

 とかく新しく、自由な振舞いが推奨されがちな現代の美術の世界において、「注文芸術」は奇異なものとして受け取られるかもしれない。作家本人の動機ではなく、第三者からの依頼によって生まれる注文芸術は、戦後岡本太郎が『今日の芸術』(1954 年)で宣言し支持された、「今日の芸術は、うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。」という当時の作家を旧弊のしがらみから解放した言葉と、真っ向から対立するかもしれない。
 しかし美術史を顧みれば、作品が作家の完全な〈自由〉に委ねられるのはきわめて今日的かつ特殊な例であり、むしろその大半は注文主からのさまざまな要請からできあがっていることに気づくだろう。歴史画であれ、宗教画であれ、肖像画であれ、それらの今に残る優れた作品の多くが、まず第三者の要請があってこそ生まれているということは、見過ごされがちだが重大な事実であると思われる。
 「日本画」を出自とするガロンは、2010 年6 月に第1回展を開催した際、グループ展としてのテーマを定めず、それこそ各自〈自由〉な作品を発表した。それは現代の画家にとって絵を描くという行為が、第三者からの要請ではなく、まずなにより個人的な動機から出発すべきであるという考えにもとづいている。だが結果として展覧会は、グループ展としての意義が不明なもので終わってしまった。この反省を踏まえ、私は本展ではメンバーから今日的な芸術の〈自由〉から大きく距離をとらせ、それとはまったく逆の態度、つまり前近代的で不自由にも思われる、作家以外の第三者=私からの〈注文〉に要請された作品制作を試みさせる。

 読み返すといかにも大上段に構えた物言いだが、とにかくこの時考え方としてあったのは、作家に作品制作上の規制を等しく与えることで、グループ展としてのまとまりを図るということだった。この時のお題は「四季」である。各作家が各季節を担当、同一の大きさで制作することで、作品を個々でも自立させながら、全体でより大きな景色の出現を目指すというものだった。それは明治以降次第に自立した「芸術」としての性格を強めていく「日本画」の文脈と、明治以前のアルチザン的日本絵画の文脈を組み合わせながら、現代における作品制作のあり方を再考する意味もあった。普段の個人活動では決して行なわない(行われない)ことを、グループ展だからこそ行なってみること。これから書いていく理由により同展は実現していないが、この考え方は今回の旧田中家住宅での展覧会にも引き継がれることになる。

展覧会開催経緯
 さて、前置きが長くなったが、ようやく本展開催経緯から書いていこう。「今日の注文芸術」展を次回展のあり方として考えている最中、埼玉県川口市在住、ガロンの佐藤裕一郎を介して、今年度中に旧田中家住宅で展覧会を行わないかという企画提案が川口市文化推進室長の小川順一郎氏からあった。2011年夏頃のことだったか。まず会場を見ないことには始まらないため、メンバーで会場を訪れてみると、とても一筋縄でいくような空間ではない。「今日の注文芸術」展と平行して開催するという案もないわけではなかったが、とてもそのように片手間でできる規模ではなく、行なうのであれば一箇所に力を尽くすべきと考え、旧田中家住宅での第2回展の開催を決めたのは秋のことである。旧田中家住宅は、国登録有形文化財であり、川口市立文化財センター分館として現在一般公開されている。1921年に上棟し、1923 年に完成した木造煉瓦造3 階の洋館と、1934 年に増築された和館、文庫蔵、煉瓦塀、池泉回遊式庭園、そしてその庭園内に位置する茶室によって構成されている。邸宅を築いたのは味噌の醸造業と材木業で財を成した田中家の4 代目徳兵衛(1875-1947)である。代々嫡男が家督を相続し、「徳兵衛」を襲名する田中家は、5 代目が川口市長に就任するなど、地元の名家として知られている。正面に掲げられている「TANAKA」のプレートにも特徴づけられるように、木造煉瓦造りの外観はいかにも洋館だが、中を歩いていると洋室と和室がキメラのように組み合わされて全体を構成していることがわかる。規模は決して一般家屋の大きさとは言えないものの、現在も私たちは洋室と和室からなるマンションや家屋に住まっているように、旧田中家住宅は、西洋化とほとんど同義であった日本の近代化の過程で、かくもハイブリッドな生活様式を構築するに至った日本という国の歴史背景が如実にあらわれている建築物と言えるのではないか。
 展覧会を作るにあたってまず思い至ったのは、ガロンという日本画出身作家だけによるグループでこの会場を構成することの「不自然さ」だった。かつて生活が営まれていたその空間は、言うまでもなく純粋な展示のためのホワイトキューブとは性質がかけ離れ、現在もかつての生活のありようが断片的に残されている。したがって作品のことだけを考えれば、旧田中家住宅は実にノイズが多い、展示には不向きな空間と言うことができるかもしれない。だが、一度ホワイトキューブ以前の作品のあり方に目を向けてみれば、現在美術館や博物館に展示されている作品の多くは、元を辿ればこのような空間に置かれていたはずである。建築物のために特別に設えられたものである場合も、どこかしらで手に入れ、あてがわれたものである場合もあるだろうが、それらは場所との関係性から何かしらの機能を持ち/持たされ、元来まっしろい壁に掛けられ、ガラスケースの中に入れられることを目的としたものではないのではなかったか。旧田中家住宅1階に見られる欄間の装飾と、掛けられている水墨画はいずれも松林桂月(1876-1963/桂月山人)の作品だが、欄間が前者、水墨画が後者と言えるだろうか。
 例に日本画家の名前を挙げてしまったが、ここで私が考えたのは、既存の空間を効果的/立体的に使うため、平面ではない作家をゲストとして呼ぶということだった。かつ、日本画と同様、明治以降形作られていく「芸術」と「工芸」の価値観の狭間で今なお揺れているジャンルの作家を呼ぶことで、この旧田中家住宅のハイブリッドな性質と、作品のそれとをクロスさせる。それにより芸術と工芸の間のヒエラルキーを問い直すのではなく、それらの作家たちが両極へと思考を行き来せざるをえない出自によってこそ、表現可能性を突き詰めているということを見せることができないか。同世代でそういった仕事をしていると私が考える、陶芸の金理有、染織の前川多仁、木彫の山本麻璃絵の3 人に声をかけ、また、佐藤からの紹介で、同じく川口市在住で鋳金の作家である後藤雅樹にもゲストに加わっていただいた。今回西川は出品をしないため、ガロンの作家5 名と、ゲストの作家4 名の計9 名により展覧会を行うことになった。展覧会タイトルの「日本背景」には、旧田中家住宅の建築から読み取ることができる、日本という国の歴史背景から展覧会が立ち上がっていることを表している。

展覧会所感
 とはいえ、冒頭にも書いたとおり、展覧会の方向性を定め、コンセプトに基づいて各作家の作品を頭の中で配置していくのと、実際に展示がされてから現場に立ち考えるのでは、思考の進み方が異なるものだ。1階から順を追って作品を見ていこう。
 各展示場所は、基本的にはガロンメンバーの希望が最初にあり、それを調整しながら、ゲストに各所を依頼、担当していただくという形をとった。だが、1階入口の幔幕状の作品は、こちらから前川多仁に希望をしたわけではなく、前川からの提案である。前川には2 階和室をガロンの松永とともに担当してもらうことが決まっていたが、早い段階から、可能であれば入口に幔幕を展示したいと話を聞いていた。入館してすぐ視界に入る《ザ・グレート・ベンケイ》(2011年)と《ウシワカ・スカイウォーカー》(2011年)の2 点の組み合わせによる幔幕状の作品は、前川のその他の作品もそうであるように、基調となっている赤が祝祭的/呪術的な雰囲気を作り出し、その場に訪れるものをさながら異界に引きずり込む。そうして、その外とは異なる位相を持つ場であると認識させているのである。
 そう考えるとき、入館チケットの券売機横、下駄箱の上に置かれている明らかにオカしい公衆電話とタウンページも、前川の作品と性質の異なるものではない。山本麻璃絵によって木彫に彩色をほどこすことで作られた《公衆電話とタウンページ》(2010 年)は、一見して公衆電話とタウンページであると認識はできるだろうが(それゆえに作品と認識しないことすらあるだろうが)、よくよく見れば実に荒々しい作りで本物とは似て非なるものにほかならない。今回山本は作品を、特定の場所に集合させるのではなく、適当な場所複数に空間に紛れ込ませるように展示している。そのさりげなさから、同じく木彫の作家である須田悦弘(1969-)を想起する人もいたかもしれない。だが、須田の作品が実にリアルに作られているのとは異なって、山本のそれはきわめてザックリと作られている。そしてそのゆるさも伴った絶妙な力加減が、作品に気づいた瞬間にこの現実を、いつもの今・ここからズラすのである。山本はこのほか、新作の《赤玉》《青玉》(ともに2012 年)をはじめとして、《燃えた消火器》(2008年)、《蚊取り線香(事後)》(2012年)、《扇風機》(2011年)、《消化器不在》(2010年)、《本》(2010年)の計8点を、1階を中心に展示した。季節外れの扇風機や蚊取り線香は、さながら季節すらズラしながら、実にさりげなく、しかしよくよく見れば実に確信犯的にふてぶてしく展示されたのである。
 そもそも洋館然とした外観の旧田中家住宅が今や非日常であるのだが、その非日常感を前川と山本の作品がさらに増幅させたところで、1階奥の座敷に展示されたのが大浦雅臣の幅5メートルを超す《百鬼道中図》(2011年-)である。入口の前川の作品とリンクするように赤を背景としたそれは、艶やかな花魁の後ろを妖怪たちがついていく極彩色の作品で、登場する多くは人外のものだが、そこに表れているのは人間の欲望とも言えるものにほかならない。かつて迎賓の場として使われていただろうその広い座敷に、大浦は通常秘匿される色欲を全面に押し出した作品を設置することで、場所の機能を逆転させた。それは色彩的には祝祭的でハレ(非日常)を思わせるが、内容的には私たちのケ(日常)が表れているという点で相反するものが共存している。赤地ではなく、金箔ないし銀箔が貼られていた方が、描かれているイメージがより前に出てきて効果的ではないかと感じるが、さらに向かって右に続いていくという、この作品の続きにも期待したい。なお、床の間に掛けられた《それでも なお》(2010 年)は旧作であるが、2月28日(火)から会期終了まで、その前に旧田中家住宅では毎年恒例の雛壇が展示され、不思議な調和を生み出すこととなった。
 1階から2階、3階と上に向かって連続する洋室に展示したのが市川裕司である。いずれも旧田中家住宅の各空間が持つ機能から出発した作品になっているが、アルミ箔を共通して使いつつ、作家の仕事の幅を見せる展開になっている。作品構造として、過去使用していたアクリル版を、川口市の旧家から譲り受けた障子戸に代替させたかのような1階の《円環》(2012 年)が個人的には気にかかる。ポリカーボネートと同一化するのではなく、それを異化することでその有機的な描画をより際立たせる障子戸の色と構造は、これからの展開も期待できるように思われた。2階の《1923》(2011年)は、旧田中家住宅が完成した1923 年にちなんでアルミ箔を1923枚押し重ね続けたというものだが、その気の遠くなる枚数と労働とは裏腹に、言われなければそれとわからない虚無感が醸し出されている。3階の《eschaton O》(2012年)にも指摘できることだが、今回の市川の作品は図ではなく地がより現出しているように思われ、それは主が不在となった旧田中家住宅の現在を際立たせている。

 本展の大きな特徴の一つとして、別ジャンルのゲストを呼んだことで、作家同士のコラボレーションが可能となったことが挙げられる。2階座敷、松永の《ZENRYOKU!》(2012年)と前川の《合体変身!(カニカニメカ)》(2010年)がその一つで、前川による布団の上に、アイドルグループのももいろクローバーZを描いた松永の屏風が置かれている。ポップな色味の箔が効果的に地に使われており、それがさながらアイドルを照らす照明のように機能している点が面白い。その他の作品もそうであるが、前川の作品は彼にとってのヒーロー=神様がテーマとなっており、それはアイドルと近似する性質を持つ。特撮ドラマで描かれるヒーローが子どもたちにとっての神様であるように、アイドルもまた偶像としての神性を備えているからこそ熱狂的なファンを生み出す。コラボレーション上興味深いのは、松永の屏風に敷かれている《合体変身!(カニカニメカ)》に記号化された黒いしゃれこうべが多数装飾されていることで、それが生と死を対比的に構造化している点にある。基調となる赤と、過剰とも言える装飾によって生命力を喚起させる前川の作品であるが、ここではそのタイトルどおり松永の描くアイドルの「全力」の陰画になっている。これはそもそも前川の作品が、さまざまな対立項を内包しているということだろう。生と死だけではなく、ハレとケ、聖なるものと卑俗なもの、高尚なものとポップなもの、といった具合に。染織によるまさにスーパーフラットなその画面は、ぺらぺらながら実に多くのものを含んでいる。

 洋館と和館のハイブリッド空間である旧田中家住宅最上階の3 階で展示されているのが、川口市在住作家という共通点のある佐藤裕一郎と後藤雅樹のコラボレーション作品である。装飾的な照明からもうかがえるとおり、通常は豪奢なテーブルと椅子が並ぶ大広間だが、今回はそれらの大部分を取り払い、両作家によって一つの空間が作り上げられている。円形に敷き詰められた鉄板の上に置かれているのが後藤の《匣形の海》(2012年)、その背景に自立しているのが佐藤の《Traces》(2012 年)である。鋳物である《匣形の海》は、ちらりと一部覗かせているとおり、廃品となった約5 , 000 本の鍵を溶かすことで作られている。それらはトランクという大いに物語性を喚起する形態に結実しながら、その実トランク以前の記憶も持ち合わせているようだ。後藤も言うように、それは旧田中家住宅が現在は文化財として一般公開されながら、かつては人が生活を営んでいた空間であったことを思い起こさせる。背後に展示された佐藤の《Traces》は、この物質性の強い《匣形の海》と好対照をなす。近年青を基調とした作品を制作している佐藤だが、今回は場所に合わせ色をなくし、さながら残像のような、気配を感じさせる作品を作り上げた。後藤と佐藤の両作品に共通するのは、後藤は鍵という物質と鋳物という工程によって、佐藤は上へ下へと連なる画面の線描によって、どちらも時間を感じさせるという点である。動と静が共存するこれらの作品は、旧田中家住宅だからこそ生まれた本展の一つの達成であると考えたい。

 こうして本館の3 階を見終わると、階段で1階に降り、玄関で靴を履いて庭をとおり茶室へ向かうのが順路であるのだが、3 階から2 階に降りていく際の視線の先に、金理有の《アルジャーノンの花瓶》が置かれていたことに気づいた方がどれだけいるだろうか。言わば茶室への導入として金にその場所への設置を提案したその作品が、大正、昭和と建設時期を隔てる洋館と茶室を繋ぐものとして機能することになる。

 梅の花がようやく咲いてきた庭を抜けると、味噌醸造蔵の一部を解体したという敷地に1973年に建てられた茶室がある。ここの主に内露地と、8 畳と4.5 畳の茶室をそれぞれ使用して展示しているのが、金子朋樹と金理有である。ここで本展3組目のコラボレーションが行なわれた。茶室に日本画と陶芸と言うと実にオーソドックスな組み合わせであるが、両作家ともそれらの技法と形式を踏襲しつつ、発展的な作品を作っている。手前の8 畳の茶室では、実際に茶会で使用可能な茶器と金子の腰風炉先屏風《空遊図》(2012年)が設えられながら、空間全体を取りまとめる役割を果たしている金子の六曲一隻屏風《空遊図》(2012 年)に描かれているヘリコプターと、金の《青炎峙坊》(2007 年)の形態のいずれにも突起状の隆起が認められ、偶然であるのだが、一致の妙を果たすこととなった。この茶室での展示が、茶会という設定と、金子の私小説的モチーフであるヘリコプターが登場することで現世的と言うことが可能なら、サイズの異なる奥の4.5 畳の茶室と内露地は少々異なる方向へ思考が向いている。茶室の、花をイメージしたラウンドパネルによる金子の作品《Petal/ 花弁 ─妖しく艶やかに─》(2012年)と、種子をイメージしたという《ひつき》(2012 年)は、元々のコンセプトがそうであるというだけではなく、作品形態として球状であることが一つ核となっている。これにより視線はひとところに留まることなく、作品も周囲と溶け合うかの趣がある。直接的な明示こそされないものの、その循環性は、生きとし生けるものがすべからく抱えざるをえないものである。それが端的にあらわれているのが、金子の《Life/懐胎 ─全てを閉じ込め、優しく抱み込む─》(2012 年)と金の《組換輪我》(2008 年)であって、前者が女性器を、後者が男性器をそれぞれ象徴的に表現している。したがってこの茶室からは、(内外所々に金の作品が点在し、空間を作り上げているのだが)、生命の誕生からはじまり(内露地)、その成長の過程を経ながら( 8 畳茶室)、再び新たな生/性へと生まれ変わっていく(4.5畳茶室)、という無限の連鎖を見ることができる

展覧会終幕にあたり

 そろそろ終えなければならない。まだまだ書かなければならないことがあるように思うが、このように全体を通して見てみると、旧田中家住宅のハイブリッドな空間を各作家がそれぞれの思考と方法論で組み立てた結果、展示全体もまたキメラのようなものとしてできあがったということを実感する。

 そう、この展覧会は良くも悪くも、たった一つのコンセプトを提示するものではない。私は自分にとってリアルな、いびつで捻れた日本の姿の肯定的な投影として、だからこそ同世代の作家と仕事をすることができたことを喜ぶが、言うまでもなくそれは見方として強要するものではなく、すべては見てくれたひとたちに委ねたい。個人的には、日本とその歴史=背景がいびつであったとしても、その現実に真摯に向き合うかぎりにおいては結果できあがるものが美しいもの/心打つものであることを信じて、展覧会終幕まで間もない今、ここで筆を置く。

メディア

はろるど
「ガロン第二回展 日本背景」 旧田中家住宅https://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/0683a7f3d6f93a3991d9bb5bc2f4d043

かえりみち
「ガロン第2回 日本背景展」(旧田中家住宅)
http://blog.livedoor.jp/muir_2518/archives/52534356.html